マツタケが日本では採れなくなり今や超高級品になってしまったので、私たち庶民の口に入る低価格品は海外からの輸入に頼っています。昔は豊富に採れたので、所得や生活水準にかかわらず多くの日本人が秋の味覚を楽しんでいました。そのマツタケはなぜ採れなくなったのか。その理由はガスや石油、電気の普及にあったのです。
高級品ではなかったマツタケ
今から50年くらい前までは、日本でもマツタケが豊富に採れたので、私のような庶民階級でも、嫌と言う程食べる事が出来たそうです。
昭和17年に生まれた私の父は、戦争で父を亡くした母子家庭に育ち、長屋暮らしの典型的な貧乏家庭だったそうです。
若くして夫を亡くした私の祖母は、子供を育て、毎日生きて行くことが精いっぱいで、贅沢の「ぜ」の字も知らない人でした。
そんな家庭でも、秋本番には食卓にマツタケがふんだんに並んだらしく、高級品になる事が想像できなかったと言います。
クジラや数の子も同じ
日本の漁師が伝統漁法として太古から行ってきたクジラ漁は、国際的な潮流から、調査捕鯨ですら批判を浴びる昨今です。
幼少期にはまだまだクジラ漁が盛んであった父にとって、クジラ肉が嫌で、牛肉や豚肉、鶏肉を食べたいと思っていたそう。
学校給食の肉料理ではクジラ肉が用いられていたので、家でも出てくるクジラ肉には辟易としていたと言います。
またお正月のおせち料理には欠かせない数の子も、大鉢に山盛り出され、珍しくもなんともない意識であったのです。
乱獲したことが減少の原因なのか
マツタケは松の木に寄生して生えるキノコの一種で、その多くは「赤松」の根元で採取されることが知られています。
赤松は日本の山林で、植林に頼ることなく自生し、赤松林がある山地では、夏から秋にかけて普通に採れました。
庶民階級の食卓にふんだんに並び、「嫌と言う程食べた時代があった」と聞くと、乱獲が原因ではないかと考えてしまいます。
もし仮に日本人がマツタケを採りすぎたとしましょう。でもマツタケが自生する山林は世界中に存在します。
日本で採れなくなったのならば、今もなお採れる世界各地から輸入すれば済む話で、ごく簡単な事です。
マツタケを珍重して食べる民族はほとんど居ないので、乱獲が原因でマツタケが無くなる理由が考えられないのです。
マツタケを根絶やしにするのは至難の業
マツタケを含むキノコ類は、菌糸が成長して、様々な形のキノコを地上に発現させ、私たちは見ています。
マツタケの原点は胞子であり、その大きさはミクロン級で、辛うじて肉眼で見える大きさです。
その菌糸は地中に存在するので、地表に生えたマツタケを採り尽す事が出来ても、地中に残ります。
目に見えない大きさの菌糸もある中で、土の中にいるマツタケ菌糸や胞子をどうやって死滅させるのか。
1本の赤松周囲に張り巡らされたマツタケの菌糸の広さは、家1軒分の広さに相当すると言います。
赤松に適した生育環境
松という樹種は、栄養豊富な山林では育たず、痩せた土壌で郁郁と育つ性質を持っている樹木です。
地中に栄養分がほとんどない「痩せた土壌」で松がいくいく育つと聞いて意外に思いませんか?
例えば種を植えて、豊富に発芽して育ったバジルを収穫したいと思うと、十分な肥料と日の光、水を与えます。
光合成に必要な光と水は別にして、十分な肥料を与えると、松は育ちにくいという事になるのです。
山林に変化が起きた
「むかし昔、ある日の事、お爺さんは山へしばかりに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。」というくだり。
そうです。桃太郎を伝える昔ばなしです。ここで注目したいのは、お爺さんの「しばかり」です。
「しばかり」とは、芝生を刈り取る事ではない事を知っていますか。ではお爺さんは何をかるのでしょうか。
風の影響で折れ、朽ちて落ちた木の枝などを「しば」と言い、これを拾い集めるのがしばかりです。
炊事をするかまどやお風呂は、しばや薪を燃料として火を起こし、日常生活が営まれていました。
また落ち葉類も拾い集めて集積し、適度な水分を与えて放置すると、分解と発酵が進み腐葉土になります。
腐葉土は田んぼや畑に入れられて肥料の一部になり、農作物の成長を促すものとして利用されました。
やがて「しば」や「落ち葉類」を拾い集める必要がない時代がやってきたことで、山林が変化し始めます。
生活燃料、肥料が山林を変えた
今の私達の生活で炊事や入浴をする時、鍋やフライパン、お風呂水の加熱は、ガスや電気が主流です。
一部地域では灯油が活用され、太陽光発電、太陽光温水器も活躍しますが、「しば」や「薪」は稀になりました。
農業分野では化学肥料が主流になったので、人畜の糞尿や作った腐葉土は鳴りを潜めました。
このようにエネルギー資源と肥料資源が変化したことで、山林に点在している「しば」や「落ち葉類」が放置されることになりました。
山林が自然を取り戻した
ガスや石油、電気の供給が今のようではなかった時代、人々は燃料を山林に求めていました。
山林に自生する樹木が発する自然の恵みである「しば」や「落ち葉類」を人々が拾わなくなったのです。
「しば」や「落ち葉類」が降り積もった「ふかふか」のじゅうたんは、生物たちの隠れ家や食料に戻ります。
山林の生物が恵まれて増えると、さらにそれを分解する微生物の繁殖が活発化し、土に返って行きます。
山林に降り積もった「しば」や「落ち葉類」が腐葉土化して、土壌は肥沃になり、豊かになって行くのです。
日本のマツタケ収量が減った原因
エネルギーや肥料の資源が大きく変化したことで、山林が自然に近い姿を取り戻した。
松類の一種である赤松も、痩せた土壌を好む樹種なので、繁殖力が弱まり続けて来た。
山林が豊かになると、松類以外の樹木が勢いを増し、マツタケ以外の菌糸が増え始めた。
マツクイムシが大量発生し多くの松の木が枯れた時代に、赤松も激減する事になった。
人々の手が入らない山林は自然に還り、豊かになった事でマツタケは減ったのです。