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ジャニーズ事務所所属アイドルグループ、ロックバンド「TOKIO」の軌跡

目下、来年4月で「TOKIO」から離脱し、ジャニーズ事務所の退所が発表された長瀬智也さんの話題や憶測で持ち切りだが、アイドルグループと言うよりロックバンドのイメージが色濃い「TOKIO」誕生の経緯、経過、軌跡、足跡を辿り、その記録や功績を振り返ります。

「TOKIO」構成メンバー

現在

城島茂 1970年11月生まれ49歳 奈良県出身 ギター、ボーカル
国分太一 1974年9月生まれ45歳 東京都出身 キーボード、ボーカル
松岡昌宏 1977年1月生まれ43歳 北海道出身 ドラム、ボーカル
長瀬智也 1978年11月生まれ41歳 神奈川県出身 ギター、ボーカル

過去

小島啓 1976年10月生まれ43歳 千葉県出身 ギター、ボーカル
山口達也 1972年1月生まれ48歳 埼玉県出身 ベース、ボーカル

このように列記すると現在まで在籍しているメンバーと過去に在籍していたメンバー構成の特徴がはっきり分かります。

まず全員がボーカルに携わっている事。TOKIO発足時点がアイドルグループであった事の証を感じる。

アイドルグループでありながら、メンバー全員の歌唱力が一定以上だった事も窺える事実です。

現在だけでなく、過去メンバーが在籍していたら、全員が40歳以上という点が挙げられます。

若い世代にはおじさんと揶揄されそうですが、今もなおアイドル性を保っている存在感があります。

ロックバンドでありながらアイドル性を保つロックバンドが他に存在するでしょうか。

TOKIO誕生期

1989年に「アイドル共和国」と言うテレビ朝日の番組で、リーダーの城嶋茂さんと山口達也さんが、「城島茂バンド」を結成しました。

1990年に入ると、松岡昌宏さんと小島啓さんが加わり、原点のTOKIOが出来上がりました。

平成バブルが終わりを告げた1992年ごろから、ジャニーズ若手の一員長瀬智也さんが臨時参加し始めます。

TOKIOがデビューするまでは基本5人での活動、ライブなどでは長瀬さんが加わる6人で編成されていました。

1994年1月に東京、大阪、名古屋を含めた7都市のライブハウスで初めてのライブツアーが行われました。

ところが小島啓さんがTOKIOを脱退するとともに、ジャニーズ事務所も退所することになったのです。

そこで長瀬智也さんが正式なメンバーに加わることになり、現在のTOKIOの形ができあがりました。

同じ年の8月には全国9つの都市でコンサートツアーを行い、9月に「LOVEYOUONLY」が発表されます。

現在までTOKIO最大のヒットソングとして君臨し続けているこの楽曲のCDデビューでTOKIOが正式にデビューする事になりました。

NHK紅白歌合戦の記録

TOKIOは1994年末のNHK紅白歌合戦に初出場している。デビューした9月から僅か3か月余り。

歌手がデビューしてからNHK紅白歌合戦に出場するまでの期間として、当時最短記録を打ち立てていました。

CDメジャーデビューを果たす前には、光GENJIのバックダンサーを務めたこともありました。

1996年には玉置浩二さん(田園)のバック支援をしながら、2017年まで24年連続で出場したのです。

ジャニーズ事務所所属アイドル、アーティストとして、最多出場、連続出場記録でもあります。

 

ザ!鉄腕DASH!!

今やTOKIOの冠番組として知られますが、初期の頃の番組内容と現在では趣向が大きく異なります。

DASH村、DASH海岸、DASH島など、自然を舞台にした農業や漁業などの取り組みに変化して行きます。

最初のDASH村で表現された農業を主軸にしたテーマは、「田舎暮らし」に憧れ、移住、転職する人を多く生みました。

酪農や製造業もテーマとして扱い、日本の第一次産業の復権に大きな影響を与える社会的使命を感じます。

チャリティー活動

今から遡る事25年前(1995年)に発生した阪神淡路大震災からTOKIOのチャリティー活動が始まります。

TOKIOとV6、KinkiKidsが融合した「J-FRIENDS」は、その後6年間ユニットを保ち活動しました。

活動による収益金をチャリティーとして寄付する「TOKIOの篤志」はこの頃醸成され始めました。

日本テレビの「24時間テレビ「愛は地球を救う」」で1998年と2003年の2回もパーソナリティーを務めました。

アイドルグループ、ロックバンドとして名声を築き成功しても、社会的弱者を思いやり案じる気持ちがなければしないでしょう。

2011年の東北大震災で傷ついた東北地方でのボランティア活動、チャリティー活動は有名です。

DASH村でお世話になった福島県への、ひとかたならない思いがあったからに他なりません。

福島県浪江町の農産品をPRするCMに、TOKIOはギャランティーなしで当時から出続けています。

「AMBITIOUS JAPAN!」

2003年に発表された「AMBITIOUS JAPAN!」は今でも多くの人に記憶されている楽曲です。

東海道新幹線の品川駅開業を広報するために、JR東海とタイアップしたテレビCMでした。

作詞家の「なかにし礼」さんが提供した詩に与えられたリズミカルなメロディーラインは今でも色褪せを起こしません。

「突き進めば望みは叶う、立ち止まらない、振り返らない、やるべきことをやるだけさ」

これは歌詞の一部ですが、ぜひ全ての歌詞を聴いてみて下さい。前に進もうと語り掛けてきます。

なかにし礼さんが一流の作詞家だと感じる事が出来る点は、具体的に多くを語っていないところです。

歌詞とは本来「詩」でありポエムなのです。行間を感じ取って、想像力を働かせて行くのが楽しいのです。

具体的に多くを語る歌詞は「それだけ」になってしまい、ポエムの楽しさをそぎ取ってしまいます。

怖いのはみな同じだ!だから恐れる事はない!決めたら進むしかないから道は拓けるのだ!と大きな勇気を与えてくれるところが、この楽曲の素晴らしさです。

なかにし礼さんの歌詞、20年近く経っても色褪せないメロディーライン、TOKIO長瀬さんの、伸びやかで量感たっぷりな歌声が融合した奇跡の1曲として、私個人は「LOVEYOUONLY」よりも強く記憶しています。

音楽活動の休止

山口達也さんの一件は、多くのTOKIOファンにとって、「なぜこんなことになってしまったのか?」と悔やまれました。

でもその陰には、「卑劣で辛く忘れがたく許す事が出来ない」思いをした女性がいるのです。

ファンと言う立場で偏った意見や考えを持つのはいいかがなものかと葛藤してしまいます。

山口達也さんのTOKIO脱退とジャニーズ事務所退所から、音楽活動は事実上止まっています。

ベースとボーカルを担当していた山口達也さんの音源がなければ、TOKIOを表現する事が出来ないと、4人のメンバーが判断したからなのでしょう。

株式会社TOKIO設立

山口達也さんに続き、長瀬さんが脱退した後のTOKIOはどうなるのかと多くのファンが心配しました。

今までのTOKIOを残された3人でどう表現するのか、このまま空中分解していくのか・・・

リーダーの城島茂さん、国分太一さん、松岡昌宏さんには、ファンを心配させない強い意志があるのでしょう。

そうでなければ「株式会社TOKIO」の設立で名を遺す行動はなかったはずです。

脱退する長瀬さんだけでなく、城島さん、国分さん、松岡さんには、ファンを裏切らない思いがあるはずです。

TOKIOまとめ

TOKIOの軌跡を振り返って、最も心にしみる事は、「ボランティア、チャリティー活動」が挙がります。

1994年にデビューしてから26年目を数える現在まで、TOKIOは素晴らしい活躍をしてきました。

押しも押されもせぬ「アイドルグループ、ロックバンド」でありながら、人々の心により沿う気持ちを持っています。

阪神淡路大震災に始まり、東北大震災でも心を痛めてくれるスターグループに人々は共感します。

リリースする楽曲は「宙船」や「AMBITIOUS JAPAN!」は、迷う人々の背中を押してくれます。

人生の節目や岐路に立ち、この先の進路をどうとるべきか悩む人の心に勇気と明かりを灯してくれます。

ザ!鉄腕DASH!!では、日本の基幹産業を再興する社会派の一面を垣間見る事ができます。

TOKIOから大きな影響を受けた人は少なくないでしょう。彼らが次をどう踏み出すのか、目を離さず見守って行きたいと思います。

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