よく「学」ぶ

受験勉強で成功する秘訣は究極に辛い「暗記」を制する事が全てです!

勉強をして習得する要素を分解すると「思考力」と「記憶力」が挙がりますが、まず大切なのは「記憶」です。記憶をするために辛い作業「暗記」をしますが、暗記による「記憶知識」がなければ、思考力を働かせることが出来ません。受験勉強を制し名門校を目指す人は読み進めて下さい。

私の受験生時代

高校から大学進学を決意した私の実例を挙げて、受験勉強に苦しんでいる諸氏に贈りたいと思います。

私が大学進学を決意したのは、高校3年生になる数か月前の事で、ラグビーに明け暮れていました。

当時の部活動は、今では考えられない感覚で、部活が終わるまで水分補給など許されない時代でした。

早朝の朝練に始まり、授業の休み時間にはボールを磨き、磨きが足りない時は「キックダッシュ」が待っていました。

部活での練習に加えて、筋肉トレーニングや走り込みを行うので、毎日がフラフラでした。

そんな中でも勉強をする人はきちんとしますが、怠惰な私は毎日を過ごす事で精一杯でした。

いつの間にか勉強が疎かになり、進学校でもないにもかかわらず、テストごとに落第寸前なのです。

偏差値40点以下の状態

毎日の過ごし方がこうですから、気づくと3年生間近になっており、模擬試験の成績は惨憺たるもの。

国公立大学はおろか、私立大学がどこも受け入れてくれない習熟水準の偏差値40点以下です。

一念発起して受験を決意しましたが、2年以上勉学をサボったつけは想像以上で、取り返しがつきませんでした。

ちょっとやそっとの勉強では、模擬試験の偏差値は上がらず、気が遠くなる思いを抱いていました。

浪人確定

無理もない話です。偏差値が40点以下では、どこの大学も受け入れてくれるはずはありません。

そんな習熟水準なのに、そこそこの学校を目指そうと考えたので、浪人生活が確定しました。

父親の檄に発奮

そこそこの学校って定義があいまいですね。人に因って「そこそこ」の水準は変わります。

私の場合、「父親の檄」に発奮しましたので、それ以上の水準をクリアする事が命題になりました。

私の父は関西学院大学を卒業しているので、少なくとも同等かそれ以上でなければ、意味がありませんでした。

父が飛ばした檄は「学歴社会を打ち勝つためには人々が評価してくれる大学でなければ意味がない!」でした。

「もし家に金がないのなら頭を下げて進学を諦めてもらうが、何とか行かせられるのに何故行かん?」

「そんな家庭環境にある奴が自己主張しても、負け犬の遠吠えに過ぎない!」と言われて発奮しました。

地獄の始まり

父親の檄に発奮したのは良かったのですが、能力が劣る私には、辛すぎて長すぎる道のりになりました。

偏差値40点以下の状態から脱するも、そこから上げて行く方法を見出す事が出来ませんでした。

やってもやっても、偏差値50点を超える事が出来ず、苦悶する日々が長く続きました。

このままでは、近畿圏の名門校である「関関同立」さえクリアできないで終わる予感に苦しみました。

藁をもすがる気持ち

水に溺れる者は藁をもすがると言いますが、遅々として向上しない自分の偏差値に焦燥していたのです。

残された時間はあと1年。そこで結果を出せなければ、意気込む気持ちと時間の全てが水の泡です。

そこで考え着いたことは、「今自分に出来る事の最大限をする」で、それしかありませんでした。

私がやった事

マークシート式の試験では、選択肢を絞り込む事が出来ず、あと2つで悩み、正解できないのです。

記述式の試験では、論述に難航し、無理やり書いても、所詮は無理やりなので、得点力がありません。

あやふやな知識では、マークシートでも記述でも歯が立たず、明確な記憶が全てだと悟りました。

そこから始めたのは頭が悪い私には合っていたのか、今や時代遅れな「根性記憶勉強」だったのです。

人間の記憶力はどの程度か

今から申し述べる事は極めて大切な事で、暗記・記憶の効率をかなり高い物にしてくれます。

人は必ず覚えたことを忘れてしまいます。今日100の事を覚えたとすると、翌日には半分忘れています。

2日目には65%以上忘れてしまい、悲しいかな3日目には80%以上忘れてしまうのです。

これが1週間、1か月と時間を追うごとにどんどん忘却し、最後には100%近い記憶を失うのです。

忘れてしまう前の復習が肝

翌日には半分、3日目には80%の記憶を失う事に着目して考えると、思いつく事はありませんか。

翌日に復習すると、再記憶するには昨日の半分の労力、3日目にすると初日の80%の労力がかかります。

つまり復習は早くすればするほど効果があるのです。その日のうちに全ての復習をすべきです。

私の場合、その日のうちに復習すると、90%以上の記憶が残っていたので、翌日の労力は軽くなりました。

今日暗記・記憶した学習事項は、どんなに苦しくても、その日のうちに復習するのが結果的に楽なのです。

頭が悪い私がした事

「なんで俺はこんなに記憶力がないのか」と悩んだことはありませんか?誰でもありますよね!

私は大いに悩みました。「もっと賢く生んでくれたら良かったのに」と親を恨んだりもしました。

でも現役で名門校を突破した人たちに聞いても、「忘れて行く記憶との闘いだ」と言っていました。

苦労はみな同じなのです。ではどうしたら良いのか?復習の鬼になり、労力を最小限にする事です。

実際の復習パターン

受験で求められる科目数が5教科の場合、自分が信頼できると思う参考書や問題集を1冊ずつ決めます。

出題傾向を知るために赤本は重要で、受けた模試も問題集として取り入れる事を勧めます。

欲張りすぎても消化不良を起こし、少なすぎても及第点に届きませんから、定める書籍は重要です。

そして受験当日までに参考書や問題集、赤本などを、最初から最後まで10回以上学習すると決めます。

その後、残された日数から逆算して、毎日何ページを学習しなければならないかを見定めます。

残り1年あって、1冊300ページの書籍を10回やるなら「3000ページ」で、これを365日で割ると1日9ページがノルマになります。

ぼんやりと、ザックリやっていては記憶がはっきりしないので、1字1句覚える覚悟でやります。

それでも記憶出来ない事項が出るので、復習頻度を上げるのですが、これが本当にきついのです。

今日学習した事項は今日中に復習しますが、昨日、一昨日学習した事項も、復習事項に含めます。

なにせ私は記憶力が悪いし、完全に忘れてしまった後に待っている労力がもっと嫌なのでこうしました。

膨大な勉強時間に気が遠くなる?

習熟度合にも因りますが、偏差値40点を下回る私には、全てがほぼ1からやる事に感じました。

しかも5教科をこのペースで進めるので、1日の勉強時間は軽く10時間を超える物となりました。

この学習計画を始めた頃は、毎日血反吐が出る程辛く、自殺したらどんなに楽だろうかとも思いました。

でもそこそこの大学に受かる事を目標に掲げたのは自分なので、いくら辛くてもやろうとだけは思いました。

意外に気が楽になった!

でもこの辛さは、そう長く続きませんでした。300ページの書籍を1日10ページ進みます。

およそ30日で1冊の書籍を学習する事になります。その上毎日3日分の復習を励行しています。

もう一度最初から始める「2巡目」に入ると、1巡目よりもかなり負荷が少ない事に気付きます。

1巡目の学習で記憶したことが多く残っているので、2巡目はかなり楽になったのです。

2巡目が楽な理由

はじめて学習するに近い事項でも、「1字1句覚えてやる」くらいの気迫で暗記を進めます。

そしてその日に学習した事項だけでなく、昨日と一昨日学習した事項も復習するサイクルがみそです。

このような学習サイクルを組んだことで、忘却してしまう事項が相当減ったので、2巡目が楽に感じられたのです。

それでも忘れてしまっていた事項も多くあったので、愕然とする気持ちも共存していました。

でも自分で課したノルマに要する勉強時間が数時間減ったことは、作戦としては成功です。

3巡目以降の学習進度と成績

どんどん早くなりますので、毎日の学習ペースを上げて行くことができるようになります。

5巡目くらいになると、1巡目の2倍の速度で、学習を繰り返す事が出来るようになります。

記憶を留めていない部分を集中的に復習するので、1回にかかる時間が大きく軽減されるからです。

そして何といっても模擬試験の成績が上がり始めます。偏差値もこれに伴うので、実力を感じるのです。

模擬試験の成績と偏差値が上がり始めると、努力が報われた気持ちになり、もっとやろうと言う気になります。

根性記憶の結果は

関西学院大学を卒業した父に飛ばされた檄に発奮した私の目標ラインは、それ以上でした。

少なくとも「関関同立」が下限で、国公立大学か、早稲田、慶応でなければ自分が納得できなかったのです。

具体的に学校名を申し述べませんが、神奈川県にある国立大学に晴れて受かる事が出来ました。

記憶力の良い人であれば、私のように暗記の鬼にならなくても、十分に達成できた結果かもしれません。

でも頭が悪い上に、勉強をサボり続け、残された時間が限られている状態では、こうするしかなかったのです。

暗記の鬼作戦は間違っていなかった

私は頭が悪いのですが、東京大学の理Ⅲ(医学部)に進学を果たした、優秀な同級生がいました。

彼も浪人をしましたので、進学が決まった時に、東京渋谷のもんじゃ焼き店で会いました。

30年前の関西人にはもんじゃ焼きがどんな物かも知らず、お好み焼きのように固まるまで焼こうとしました。

でも一向に固まって来る気配がなく、ジュクジュクのまま「もんじゃ焼き」って変な食べ物と言いながら食べました。

その彼に「お前は凄い!東京大学に入るのも難しいのに、医学部に入るなんて考えられない」と言いました。

返ってきた言葉はこうでした。「部活に明け暮れても俺は目をこすりながら勉強を続けた」

「でもお前は部活の辛さにかまけて、勉強を疎かにした。その時間は何年になるのか考えたか」でした。

確かにその通りだと思いました。でも記憶に頼る作戦に走った私は次なる質問を繰り出しました。

理科系の最高峰である医学部に合格した彼と、文系学部に合格した私の違いは思考力だと思った質問です。

彼はこう答えました。「数学や理科は、公式や定理、定義の暗記が全てであると言っても過言ではないと。」

彼の理論はこうだった

どんなに優れた知能を持って生まれても、知能を働かす時に必要な知識がなければ意味がない。

自分の知能水準がどの程度なのかは、学習した知識と共に決まるものだから、知る事から始まる。

親から与えられた知能水準を知る前に、知能を働かすために必要な知識を蓄えなければ判断が出来ない。

特に数学は、公式や定理、定義の暗記が基礎となり、それがなければ応用問題に対応する事が出来ない。

だから数学は「暗記に尽きる」と言い放ったのです。彼に言わせると理科も同じなのでしょう。

一般に理解力が求められると考えられている科目でさえ、記憶したことが基礎になると言うのです。

まとめ

受験勉強は記憶・暗記が多くの割合を占めています。

蓄えた知識を基に次なるステップに人は進むのです。

仮に知能が、そこまでの物でなくてもいいではありませんか。

頭の悪い私でも努力と根性で、国公立大学に行く事ができました。

今闘っている受験生の皆さん、勇気をもって学習方針を立てて下さい。

国家資格や任意資格の受験においてもこの手法は有効で効果があります。

宅地建物取引士を受けた時、3か月のがり勉で受かる事ができました。

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